茶式湖月抄2 珠光

東山殿 慈照院足利義政将軍 御時代 南都 称名寺僧珠光始めて點茶製して一休禪師より參問す一休是を證明して曰茶は心眼を覺し大ひに吾宗禪定の一助なりとて秘重せよとし宋國經山寺虚堂禪師の墨蹟を珠光に輿ふ是我朝専ら點茶を用る中興なり

珠光は初めて抹茶の点茶法を開発した僧侶であり、一休にそれを褒められ、虚堂の墨蹟を貰ったという。

初めて点茶をしたのに点茶の中興である。
もらったのが圓悟でなく虚堂である。

この辺は突っ込みどころではあるが、最大の突っ込みどころは「製茶法が禅に役立つから墨蹟貰った」というところであろうか。
印可のあかしではないという。

…でも、圓悟にしても虚堂にしても、その墨蹟は浄土宗の僧侶がもらうもんでもないので、こっちの方がまだしっくりくるぐらいだ。

源義政公光の數寄の妙術心要を賞美あつく還俗させ三條邉に艸庵を構へさせ珠光庵主と書し賜はり額を打せる
皇朝茶道宗匠と稱するは光より始む

日本で茶道宗匠と称したのは珠光から始まる…。ほんとかよ?

この書き方だと義政は銀閣で茶を習ったりしたわけではなさそう。
むしろ珠光をプロデュースして売り出した人みたいに読めるのが面白い。