奈良大和路茶の湯逍遙4 珠光と古市播磨

珠光のいろんなエピソードは知っているものだったので省く。

つまり、室町将軍家の喫茶では唐物も最高級の建盞(茶碗の一種)に点てられた茶を、唐絵や青磁花瓶、堆朱食籠など中国の美術工芸品で飾られた書院に運び出して茶が飲まれたので、そこは唐物の美意識で統一する事ができた。
しかし、風炉釜・水指・建水まで、点前道具のすべてを客の前に出す茶の湯では、すべてを唐物にすることは、ありえないことだった。
そこではじめて唐物と和物の調和が問題になり、和物に近い下手の唐物がよいとされるようになった。

豪華な応接間で点て出し飲んでた時代と違い、小さい部屋で目の前でお点前すると、美意識が統一しづらくなった…なるほど。その視点はなかった。

いろんな道具を唐物化できなくはないが、釜は難しい。特に炉の釜は。
炉が切ってある場合は茶室自体も、シノワになりづらい。

逆に言うと、小間の茶は、唐物崇拝から脱却しないと始められない。

ニワトリと卵じゃないけど、脱却したから開始できたのか、開始できたから脱却できたのか。


シノワな給湯器具と、椅子と机が室町に普及していたら、茶の湯は唐物崇拝から逃れずに、もっと煎茶に近いものだったかもとか思った。