奈良大和路茶の湯逍遙5 中坊屋敷と松屋

松屋会記」には奈良だけでなく、武野紹鴎・利休をはじめとする堺や京都の茶人や、武家・大名の茶会が記録され、多くの聞書を収めている。
武家との取引はまったくなかったらしい松屋と、秀長・古田織部・細川三斎・小堀遠州らが親しく交友している様子は不思議なほどである。
しかし、それが茶の湯であった。

秀長は大和大納言。
領地が奈良だから、地元有力者とはおつき合いするよね。
織部、三斎は利休に言われて鷺絵を見に来たのが縁。
遠州はその延長戦。

それだけに、松屋のことを知らなかったはずがない秀吉から松屋が一度も招かれていないことは、むしろ秀吉の茶の湯について考えされるものがある。
秀吉にとって役に立つ博多の神屋宗湛を、大歓迎して感激させたのとは対照的な扱いであった。

秀吉ほどの人物が道具一個の為に奈良にお成りにはなれまい。
しかもそれをすると、利休の弟子の様にみられてしまう。ますます無理。

秀吉からしてみれば、堺の三茶人に下々の茶の湯を任せていて、松屋さんは陪臣扱いだった可能性もある。

神屋宗湛は新規開拓で、堺商人の支配下にはいない…というか居てもらっては困る人材だしね。