茶筌博物誌2 茶筌の生命

茶筌の生命は、一回使い捨てが本来の姿である。一度湯を通した茶筌は、もはや形を変えて流儀の茶筌ではなくなる。
一期一会が茶の心なのである。
逢い難い唯一回の機会を燃えつくすことに茶の命があるのである。
そのためには畳はかえられ、茶花は切られ、茶杓は折り撓められ、引切りの青竹は真新しい曲物建水の中に青く息づくのである。
高穂(茶筌)の編糸が白いのもその意で、これを二度三度使っては純白の意味が薄れる。

著者は、本来使い捨ての道具である茶筅を、一期一会の象徴として考えている。

実際はどうあれ、この思想は美しい。

一日使い捨ての道具の中で、代用品がないものは少ない。

青竹の引切りは陶器の蓋置に置き換えられるかもしれないし、曲物建水は唐金えふごに変わるかもしれない。

そんな中で、絶対に替えがないのが茶筅と茶巾。

汚れ物よりは茶筅の方がふさわしいだろうな。