茶筌博物誌7 茶筌用語事典
本書巻末の用語事典より。
いっしそうでん(一子相伝)
鷹山宗砌によって創られた茶筌作りの技術は鷹山(高山)氏に一族秘伝として伝わり、需要がふえるにしたがって重だった家臣の間で行われた。
高山家が信長を敵として滅んだ後は家臣の間に一子相伝の術として受けつがれた。
(略)
徳川三代将軍家光が入洛の折には茶筌献上の下命があり、茶筌師は苗字帯刀大髷が許されるようになり、今日まで全国茶筌生産の大部分を占めている。
高山茶筅に関する伝承は、証拠があきらかでないものが多すぎる。
家光が入洛した時とはいつで、誰が下命し、その記事は徳川実記の何処に載っているのか?苗字帯刀大髷が許されたとしたら、その免状は今どこにあるのか?
ここから判るのは、高山茶筅師が、由緒を地域の豪族に求めた平民ということだけ
じゃないだろうか。
かんのん(観音)
石川県那谷寺の茶心観音は、普門閣の本尊・八臂の観音。
総高五尺(百五十センチ)、坐像二尺三寸(七十センチ)。
合掌した手を除いた他の六臂にそれぞれ茶筌・茶杓・茶壷などの茶道具を持たせて茶心を示現している。
(略)
なにそれ!かっこいい!
…とか思い那谷寺のホームページに行くと、普門閣は民間家屋の移築であり、移築時期も昭和40年。とすると残念ながら相当新しい作為だなぁ。
残念。