日本藝道と佛教のこころ2 茶の湯と「道」

我が國に行はれてゐる多くの技術や藝能などのことをしらべてみると、殆どすべてのものが一つの「道」といふものに歸してをるのである。
(略)
そしてこれらは、それが深まるに従つて、より深く求道敵精神修道的精神によつてうらづけられてくるので、我が國の藝道一般に於いて、その深さ高さは、その中に含まれる修道敵精神の多少によつてきまるといつても過言ではないと思はれる。

かうした精神の最も明白にあらはれてゐるのは劍術と茶の湯であらう。

著者は芸道の求道の頂点に剣術と茶道を置いている。

茶の湯といふものはキワドイ道を今日まで歩いてゐる。
(略)
キワドイといふのは茶の湯が豪華と簡素との間の、高貴と卑賎との間の、ホンの紙一重のところを通つてゐるからである。
そして多くの茶人達が──今日もまた然りであるが──屡々富貴に媚び、好事に堕落してゐるのである。
そして茶道の眞精神は雲間をもれる月光のやうに、折々かすかにその中に隱見してゐるかと思はれる。
そのわづかに垣間見ることの出來るものが、利休の建てた茶道の精神である。
この茶道の精神が、富貴逸樂に堕ちるべき筈の人々を、いかに高尚化し精神化し修道化して導いてきたかといふことをおもふと、なか/\に有難いのである。

すばらしい文だ。

すばらしい文だが、おためごかしだ。

茶の湯は、豪華と豪華へのあこがれのとの間の、卑賎と高貴へのあこがれとの間の、どろどろ道を歩み続けている。
それでも俗に堕ちないでいる、と思い込めるのは、先人を理想化し、それの後を追いかけてるつもりになっているからだと思う。

利休の茶道の弟子であつた堺の南坊宗啓は、(略)これによつて我々は利休の精神を知ることができる。

自分でも茶史研究をかじっていてこういうのもなんだが、南坊録を偽書として廃してしまうと本当に茶の湯に精神性が残らなくなってしまうんだが…南坊録でそだったばーちゃん先生たちが引退した後、僕らの茶の湯に堂々と精神性はあるんだろうか?