茶道入門9 先哲の教え

最後に。

著者の語る武野紹鴎について。

武野紹鴎はどちらかと言えば数寄者でありまして茶の湯者でなかったと思います。それと反対に千利休茶の湯者にして数寄者でなかったことは、二人の伝記や逸話や言行によっても想像されます。
もし珠光法師を加えて、三人それぞれの長所を比較検討してみますと、禅機では珠光が第一人者であろうし、歌道では両名とも珠光におよびません。また茶業は利休が一頭地を抜くものと言わねばなりません。

言わんとする所はわかならんでもないけど、ここはあくまで三人とも茶業を比較しようよ…。

従来、利休の名声が余りにも高名過ぎますので、珠光や紹鴎の功績及位置が利休の雷名にかくされて、ややもすれば埋没せられる傾きがあるように考えられます。
珠光の事象はしばらく措くとして、しかも茶道を結成してその精神的内容を強調せる上において多く考慮されなければならないはずの紹鴎の名声が、茶界以外に広い交渉を持っておったために、茶界に於ける伝統的研究が等閑に附せられたことはまことに遺憾であると思います。

昭和30年代に、利休の名が高まりすぎていて紹鴎が省みられなかった、というのは、ありそうではある。

にしても著者の紹鴎びいきはなにか痛切なものを感じる。


志野流茶道の茶譜上のポジションは、一応珠光門ということになってるっぽい。

著者はそれを紹鴎に擬していたのだろうか?