喫茶南坊録註解2 緒言

本書の原著は昭和3年で、刊行はされていない複写頒布品。
当然昭和40年代とは状況が違っている。
なにがって?南坊録のポジションがだ。

著者の緒言より。

夫レ茶道ハ礼法ニシテ遊戯ニ非ズ。
故ニ其ノ応対進退ノ節、一々コレガ原理ナカル可カラズ、
然ルニ近時ノ茶界ソノ根源ヲ究メズ、
徒ニ皮相ヲ玩ブ者ノミナルガ故ニ、竟ニ一種ノ遊戯トナリ了リテ、斯道ノ真諦ヲ喪失シ、其ノ神聖ヲ褻涜シ去ルニ至レリ。豈歎ゼザル可ケンヤ

茶道は遊びじゃない、もっと高尚なものなのに、みんなそれを忘れている。

という懐古思想は、そもそも南坊録の思想である。
但し、南坊録の滅後は「利休存命時の予言」なわけだけど。

孔子が周公旦を理想とした様なもんで、この手のやり方は長い歴史と十隻が有るが、現実に不満があるからといって昔を理想化してもはじまんないと思うんですがね…。

余コレヲ憂フルコト久シ。
乃チ屡斯界ノ先輩ニ就キテ之レヲ質スモ、皆小径細路ヲ説キテ、其ノ大道ニ明カナラズ、
翻リテ諸流古来ノ茶書ヲ繙キ、之レニ真理ヲ索ムルモ、亦皆枝葉杪梢ニ細ニシテ、其ノ幹根ヲ等閑ニスル者ノミ。
(略)
其ノ後、明治四十年偶喫茶南坊録ト題スル古写本九巻ヲ得タリ。

安政4年生まれの不言にとって、明治四十年は48歳。

不言が何歳で茶の湯をはじめたのかわからないが、明治十年台から南坊録や岐路弁疑を引用した茶書がぞくぞくと出ていたのに、まとまった南坊録入手が明治40年なのはかなり解せない。

南坊録の原著自体はこの時期まで、あまり流通していなかったんだろうか?