喫茶南坊録註解24 茶の気

南坊録「滅後」原文より:

休居士ヲ我坊ニ招請シ茶仕リシ時、五月雨ノ頃、風炉ニテ有シニ、茶ヲ茶碗ニ入レ、水指ノ蓋ハ取タレ共、天気冷ニアリケレバ、釜ヘ水差ス道理不可有ト内々思ヒシマヽ、水サヽズニ茶ヲ立タリ、茶ノ湯スミテ休散々シカリ玉ヒテ、何トテ水ハサヽズ候ヤ、又サヽヌホドノ分別ナラバ、水指ノ蓋ハ何トテ取リ候ヤ(略)

風炉の時、水を差さなかったら利休に怒られた、というエピソード。

千家系が炉で水も差さないのに水指蓋空ける点前するのを批判する根拠文でもある。


利休は同席した宗及宗無に聞いてみろという。

幸宗及宗無同席ナレバ功者ニ習ヒ候ヘトナリ(略)今日ノ天気ナドニハサヽヌモ一理候ハンナドトノ答ナリ、
休モツクヅク聞テ居ラレ、ヤガテ何レモ被帰、(略)休ノ云、両人ハ世ニ人ノ許シタル茶ノ湯者ナラズヤ、此休ニ劣ルベキトハ其身ヽヽモ思ハザルベシ、又秘シテ云ハザルニテモナシ、根本ヲ不弁事分明ニ被察テ笑止也、

わざわざ聞かせといて、天王寺屋と住吉屋の陰口叩く必要あんの?

この嫌な利休像が茶話指月集の利休像にダブって変にリアリティが出ているのが困る。

口切ヨリ正二月迄ハ茶ノ気強ク保チ候ヘ共(略)五月雨ノ節ナドハ以ノ外衰候也、
(略)
マシテ四月以下茶ノ色香共ニ衰ヘタルニ涌立タル峠ノ湯ヲ打込候得バ、茶ノ気忽ヌケ、色モカハレリ、ソレ故風炉ノ湯相ハサハヽヽトニエ立タル松風ノ峠ニ一ヒサクノ水サシテ汲ミ立テ、一声ノタルミタルヲ茶碗ニ入レ候得バ、湯相カロクヤハラカニシテ茶ノ気ヲタスケ相應スルナリ、

風炉の茶に気温が低くとも水を差すのは湯音を下げ「古くなった茶の香り」を少しでも飛ばさない為。


それに対する著者の注釈。

本文湯相ノ説実ニ茶道ノ要義アリ、(略)
然ルニ現今茶界ハ四五月頃ヨリ新茶ヲ用フルヲ例トスレバ、其ノ五六月ノ茶ハ香気色澤共ニ盛ナル者ナリ、之レニ依リ五月雨ノ頃ニハ却テ水ヲ加ヘズ、能煉リタル雷鳴ノ湯ヲ投ズルコソ利休ノ真意ニ副フベケレ、
現今茶人多ク此ノ要旨ヲ解セズ、茶ノ新旧硬軟何ヲ問ハバ、唯風炉ノ茶ニハ水ヲ一杓投ズベキトノミ教フル如キ、所謂柱ニ膠スルノ譏ヲ免ルベカラザルナリ。

屁理屈やろ!

まぁ実際お茶の味と実践的に相談した場合、根拠レスであるとは言えない。

言えないが、その場合、口切が無意味になるし、炉開きも別にめでたく無くなってしまう。名残の茶の全然名残でなくなるが、いいの?


そこまで一貫しない限り、上記は言ってはいけないことだと思う。