喫茶南坊録註解31 終りに
滅後はいろいろ面白いけど、秘伝、追加あたりは面倒なだけで大して面白くなかったかな。
どうせなら岐路弁疑/壷中炉談も注解入れて欲しかったけど、あれは立花実山の本であって、南坊宗啓のものでない、ということからか省略されたか。
さて、南坊録を注解読みながら再読した感想。
「昔はこうだったが、利休(或は紹鴎)がこう改めた」という話が多い。
非常にもっともらしく、知っていれば「語れる」内容である。
それに比べ、曲尺割は面倒なばかりで「語れない」。茶事の会話には使いづらい話題である。
そしてこれらが、「それなりの」整合性を持って一冊の本を形成している。
おかげでかなりの説得力が発生している、と感じられる。
南坊録批判としては、どうにも利休の時代の茶風を反映していない偽書、というのがあるが、我々の知っている利休像…無駄を嫌い、研ぎ澄まされ、禅の心を持った大男、みたいなのは、南坊録の影響が大きい。
茶巾の白布送りつけて来る嫌がらせ爺ぃ、みたいにならなかったのはむしろ幸いだと思うがなぁ。