茶道教室2 中性化

心のゆとりはまた婦人の中性化を防止する。
學校その他で團體生活を營む人々は、どうかすると言動が粗笨に陥り易い。
殊に職場に働く人がこの弊に流れ易いのは、女性たるが故に特別待遇のハンデキャップを與へてくれないからである。
健氣なる彼女達は多數の男子に伍して黒髮を埃に染め袖を油に滲ませて働く。
そこには「遊ばせ」言葉は通用しないし、作業の敏活化は不用意に女としての「あられもない」疎放蕪雑の言語動作になれ易い。

今のフェミに読ませたら激怒しそうである。

また、男子と同様の成績を擧げねばならぬ彼女達にあつては、「男に負けてゐるものか」といふいふ自尊心から、女子も男子と對等といふ觀念を生じ、更に一種の優越感をも抱くやうになつて、「女も男と變りはない」といふ考え方が、やがて女子の中性化を來し、遂に「女子は男子と對等になり得ても同等にはなれない」眞理を忘却してしまふのである。

いや、さすがに真理って書いちゃ、ダメだろう。

女らしさが失はれることは悲惨な性格破綻であり、彼女自身の悲哀であり、不幸であり、最後の悲劇への道程である。
茶はその女性の中性化を防止する。
心のゆとりの出來た彼女等は、いつも自身は女性であることの反省を忘れない。
さうして「女らしさ」の美しい自分自身を保つことが出來るのである。

栄西も考え付かなかったろう茶の功徳である。


しかし裏千家とべったりだった三味をしてこの女性観か…。


一つ反問したい。

…男は茶の湯をするとどうなるのだろうか?

是非お教え遊ばせ。