茶道教室

佐々木三味/寶雲舍/1946年。

終戦の翌年に書かれた茶の湯の本。


佐々木三味の本は改訂され新装版が今も出ており、「あれ?佐々木三味ってまだ生きてたっけ?」と錯覚する程。

でもこの本は4年後に別出版社から出て以降、再版されて以降、出てないと思う。

それは、終戦直後の解放感が書かせた本だからだろうか。

道義と文化と平和の日本を建設するには、國家社會を形成する個々の人間がそのやうな生活を愛し、そのやうな人格に形成されなければならない。
とこがこゝに道義といふ、従來一般に道徳とか倫理とか稱されてきたこの言葉には、乾燥した冷酷な觀念がともすると附き纏ふやうに感ぜられる。
しかも誰もが道徳や倫理が正當にして尊重すべきものであり、且つこを實践すべきことの當然さを知り過ぎるほど知つてはゐるのではあるが、さてこれを外部から教へられたり強要されたりすることは、甚しく嫌忌する傾向がある。

道徳教育、という言葉が、戦後1年目で既に忌避されていたということが判る。

明るく朗らかに、樂しくありたい私達は、さうした窮屈な考へ方や不滿足な氣持から離脱して、道義といふものがいつも正しく美しく愉快な、しかも立派なことであるのを衷心より理解し、悦び進んでこれが實行たり得るやうにありたいものである。
それには過去の指導者や道學先生達が固執して來た如き態度、教育法をかなぐり捨てゝ、もつと他の方面から誘導しなくてはならない。
即ち樂しんでやらせるために、趣味といふ糖衣を施し興味といふ色彩をつけて、道義のよさを覺らしめるのである。
その方策の一つとして、私は大膽率直に「茶道」を提唱したい。

茶道を通して道徳教育しようよ!というのが三味の主張である。


手段としては戦前の「愛国茶道」みたいなのと発想は一緒だし、そもそも茶道の思想自体が戦前戦後で変っている訳じゃないから、結果が全然保証できないよな、これ。

かくて茶を通じて道義心は涵養され、文化は昂揚せられ、それが個々に浸透し、社會の通念となつて、茲に道義の日本、文化の日本、平和愛好の日本國家が新しく築かれる。
茶はその示標であり道程であると私は信ずる。

うむ。昭和30年代以降に再刊されないわな、これは。