日本の茶道の流れ7 流派の選択

遠州流の中の人による自己分析。

茶の本質には、各流派とも変わりはないが、利休を祖とする流派は町衆茶道であり、遠州によって大成された武家社会の武家茶道は禅、とくに儒学的背景をみることができ、また形態にも武家の礼法が同化されていることが大きな特徴である。
したがって一般的には現在も、武家茶道の流れを持つ流派と町衆茶道の流派とは、異っており、前者の茶の湯の稽古は、後者とくらべてむつかしいといわれている。
(略)

手数がひとつふたつ多い程度を「難しい」とかいうのはどうなんだろう?
どっちかというと教える先生次第で難しくも簡単にもなりそうな違いでしかないと思うんだが。

表面的な見方として流派が伸びるか、伸びないかの観点に立つと、軽薄短小という現代の風潮から、むつかしいものより、簡易な方を好む人が多い傾向がみられるので、前者よりも後者が有利といえるかも知れない。
しかし軽薄短小も流行性的なものであるわけで、いずれこの傾向は飽きられ、反動として重厚深渕の追求の傾向に移っていくことが予想されている。
そうなると味の深い前者が求められることになって、勢いが増すことになろう。

マーケティング論としては面白いってば面白いんだが、明文化して外に漏らすのはどうなんだろう?

他人の流派を軽薄短小扱いって、それほどの差があると思ってたんだ…。