仙叟宗室居士の遺芳6 箱書

「仙叟宗室居士の手捏ねと好みの釜」赤沼多佳より。

かつてこの世界に通ずる方より「昔から仙叟書付のあるものに名品が多いといわれている」と聞かされたことがある。
まさにこの言葉を裏付けるのは長次郎の茶碗である。
ここに仙叟居士の箱書付とされる長次郎の茶碗をあげるお,赤楽茶碗では「無一物」「太郎坊」「白鷺」「一文字」があり、また黒楽茶碗では「俊寛」「次郎坊」「雁取」などがある。
いずれも長次郎の茶碗のなかでは古風の作をもち、古来名碗として広く知られているものである。

というか、これって書付ビジネスが仙叟の頃にはじまったか、あるいは軌道に乗った事を示しているのではなかろうか?

茶人が鑑定をビジネスとしていた、というだけなら利休の頃にはそうだった筈だが、利休の頃は依頼に対し「消息」で回答していた。
仙叟の頃に箱書きでこれを代える様になっていたということでは?

しかしながら仙叟居士ゆかりとされる茶道具は確かに大樋焼、あるいは寒雉の作になる釜などが圧倒的に多く、むしろ仙叟居士の手捏ねや好み物には京都の工人にかかわるものがほとんど知られていないのである。

こっちは意外。

でも、好み物や自作物は「誰かが買ってくれる事」を前提としている。

時代は宗旦四天王がぶいぶい独立していった時代の直後。

京都で茶をやっていて「仙叟樣の道具が欲しい!」と思う様な奇特な人がいなかったんじゃないかな。

金沢の田舎でこそ通じる権威だったというか…。