仙叟宗室居士の遺芳5 臘月庵日記

金沢の茶人、臘月庵浄全の日記に見る仙叟の茶会。

No. 旧暦日付 茶杓 菓子
1 1687 9/25 自作 栗餅、干瓢にしめ
2 1687 10/4 自作 真餅実寒、煮しめ椎茸
3 不明 口切 自作 餅、にしめのたけ
4 不明 不明 紹鴎ふしなし にしめ、干椎茸
5 1686 11/11(10/11?)口切 宗旦作銘松風 餅、しそのミにしめ
6 1686 12/30 利休 もち
7 1687 3/29 自作 草餅、煮しめ椎茸
8 1688 11/20 道安 強飯、椎茸にしめ
9 1689 閏1/11 利休 利休油もち、にしめ 椎茸
10 1689 3/27 宗室作 柿もち、にしめ

1番の場所は不審庵と書いてある。
6番は一畳半と書いてあったが、今日庵の一畳台目かもしれないが、もしかすると茶室を融通しあっていた可能性もある。

茶杓はほとんど「銘なし」。自宅での茶で自作の茶杓に銘を付けない、ということは、よっぽどでないと銘をつける事はないということだろう。

あと、練り切りや饅頭などの餡ものはまだない。
煮染めで抹茶か…。きっつう。

なにより、金沢の茶人がたびたび京都へ呼ばれ、口切にも呼ばれているということは、仙叟はあまり出仕していなかったんだろうか?
参勤交替で前田さんが江戸に行っている間は京都住い…というレベルで無いように思う。