茶と禅

伊藤古鑑/春秋社/2004年。
但し新装版。原著は1966年。

「一、茶道のこと」より。

およそ茶道といっても、その奥儀に達するには、十年、二十年の修行を要することであろう。だた飲むということでなしに、その術、その法、その道の三段階を経て、奥儀に達することは、容易なことではない。
けれども、その法をも知らずして、その術のところに、まごまごしているのが一般人である。
だから、その道の奥儀に達する個とは、普通の人では、まず不可能のことといってよい。
(略)

「お点前やってるだけでお茶は極まらないんやで」ということ。

すっきりする。

そう。

いやしくも「修行」と銘打ったものをして奥儀を極めるようなものなら、寝食を投げうって求道し、それで成るか成らないかというものであるべきで、毎月何回かお稽古ごとをしてどうにかなるものではない。

修行した禅僧ならではの御回答である。

法に通じたというのでは、まだ足りない。
法に通じたというのは、ただ、ものを知ったというのみである。

ルールが判っただけじゃなく、心が境地に達しないといかん、という事を著者は書いている。

んで、その方法は書いていない。

当然であり、すがすがしくさえある。