茶人の旅

野村瑞典/芸艸堂/1984年。

江戸初期の各藩の茶の湯状況を調べた本。

江戸時代の武家茶道と言えば石州流である。

しかし藩祖自身が織豊期の茶湯に親しんだ藩では、その系列を大事に守って伝承する所も少なくなかったが、参勤交替で江戸詰を余儀なくされるので、藩としては石州以外の系列茶湯を伝承していても、江戸屋敷には石州系の茶人を召し抱えるといった例も少くない。

これは武家同士の共通儀礼的な部分があったようで、ゴルフで接待、みたいなものではなかろうか。

このような風潮は外様大名及び小藩に多く、親藩大名や、譜代大名では、独自に縁故や因縁のある流儀の茶頭を置き、忠実に自分の藩の茶湯で押し通している処が多いのも当然であろう。

それに対し、立場の強い会社はやれヨットだやれテニスだと別の方法で接待を「受け入れる」ことができるのと似ているかもしれない。

外様大藩…という微妙な立ち位置の加賀前田家が、宗和流や裏千家で大丈夫だったんだろうか?

と思って調べると

さらに利常は遠州の女婿小堀新十郎を千五百石(後に二千石)で召し抱えて茶湯指南を命じているので、利常時代には金沢に遠州流が定着したのである。

遠州流があったので良かった、ということなのかもしれない。

でも、いたんじゃないかなー、江戸での石州流指南。

藩主が鼻毛を伸ばして馬鹿を装わねばならなかった藩だもん。
それぐらい気を使うと思う…