茶人の旅2 中川宗半
中川宗半は名を光重といって、最初は信長に仕えた武将であったが、利家の知遇を得て、利家の二女を娶り前田家の家臣になり五千石の扶持を得ていた。
茶湯は利休の一門で、仲々の熱心であったが、一時あまりにも茶湯熱心が過ぎたので、武士の本分を忘れたとして、利家の勘気を受けていたが、後に利長の仲介で許されたのを機会に法体となり、巨海斎宗半入道と号したという。
(略)
巨海斎と号してからは専ら茶湯三昧に生きたと見られる。
利家の次女までもらって出世したが、あまり祿に拘わらず趣味に生きた安土桃山時代の武将らしい話に思える。
でも中川光重に関して調べてみると、
- 中川姓だが、本来織田家一門衆。
- 利家の次女をもらったのは信長生前。
- なので、利家に取り入ったというより、利家が取り入った可能性もある。
という上に
こりゃ法体となったからといって茶の湯三昧ではなさそう。
ただ、茶湯熱心であった、というエピソードは伝わっているわけだから、茶の湯愛好者ではあったのだろう。
江戸時代の金沢の文化新興になんらかの影響を与える存在だったことは否定できないか。