茶人の旅3 大田竹亭

高岡市教育委員会の立島氏に「石動に三千石を茶湯で三代に亘って潰した家がある」
と聞いたので調べてみると、安永から文久にかけて八十年間、石動の埴生にある大田家という代々苗字帯刀を許された家で、幕府巡検使の定宿になった家柄でもある。
(略)
公務の余暇に茶湯に没頭し、さらには自らも焼物を始める程の凝りようであり、金沢の大樋焼に師事して邸内に窯を造り茶器を造った。
二十二代の伝右衛門は京都に出て楽焼の脇窯に寄食修行して帰ったが、在京中には知恩院門跡の知遇を得ている程の才能があり、帰国後の作品には風格があり、「加賀ノンカウ」とも称された。

九谷焼吉田屋の豊田家といい、この地域には熱心な町人が多いのだろうか?
しかもこれ本人が焼いているのか…。

三代続いての茶湯・製陶は家運を傾けるのに充分であったという。
しかし、その作品には雅風があるとして近年になり脚光を浴び、残存作品の大部分は好事家の手に渡り、地元にはほとんど作品が残っていないという。

すっごい気になる。


どっかに写真でもないかと「大田竹亭」で検索すると、AVのページばっかりひっかかる。どういうワケなんや…。