茶人の旅8 津軽藩の茶湯

信政に召し抱えられた野本道安は、古儀茶道、四世一樹庵と称しているが、この古儀系の茶道は津軽にだけ伝播されたものである。
『古儀数奇道樣統』(弘前図書館蔵)、『古儀茶道の栞』(同)によると、紹光明玄という足利義満時代の学僧を祖とするものであって畠山道快、珠光を経て、野本輝久(一樹庵一世)・北向道陳・武野紹鴎に伝授され、さらに道陳より輝久の子、野本道和に伝授され、道和の弟、野本道玄(一樹庵二世)綱久に譲られ、一樹庵三世は古田織部の子供と伝えられている僧が還俗して野本道玄を名乗り、晩年広島の三次藩浅野長治の茶頭となる。
四世一樹庵野本道玄が津軽藩に召し抱えられた。

津軽信政の治世は1656年から。

紹鴎と同世代が一世。
二世が1562年に死んだ北向道陳から伝授された次男。
いいとこ1540年ぐらい生まれか。織部が1543年生まれで同世代。
三世が織部の息子だと、1560年〜1580年ぐらい?
浅野長治が三次藩を興したのが1632年。60代ならまぁ晩年か。
四世がその息子だとすると(書いてない)、1600年ぐらいの生まれ。
津軽信政のとこに四世が行ったのが割と晩年なら、ぎりぎり成立するのか…。

だが;
https://kotobank.jp/word/%E9%87%8E%E6%9C%AC%E9%81%93%E7%8E%84-1100442
デジタル版 日本人名大辞典+Plusだと1655年生まれとなっている。
三世が相当老境でハッスルしないと無理。


田舎じゃわからんだろうへへへっ、と無理な肩書を名乗って就職したって感じがする。