茶人の旅9 麟閣

会津若松城にある麟閣。

移築前の話が本書に載っていた。

城内から森川家に移築の際に、朽ちた木が多かったので大部分を取り換えたが、構造は寸分違わぬように再現されたとのことである。
(略)
庭のつくばいには「天正五」の彫銘があり、芦名時代のものであるところから、その当時既に何等かの形で茶室があり、氏郷時代に改築したとも考えられる。
茶室の茅屋根には突上窓があり、四代善兵衛氏の「指月庵」は、この窓から月を指すという意味である。
入母屋の妻には「指月庵」の木額が掲げてある。
茶室の外露地に腰掛待合の「休心舍」があり、指月庵師の作であるという。

麟閣は少庵が作った、と伝わる茶室だが、明治の廃城令で取り壊されるのを恐れた森川善兵衛が引き取り、平成2年、森川家から寄贈され、若松城に再移築された。

雪深いこの地で、貴重な建造物を維持することの困難さを、森川氏は「この家に生れた以上、これは私の責任ですが、再三、市や県から文化財指定のお話があるのですが、それに伴う雑事を考えると、私の手で確かに守り伝えて行く方がよいと思ってお断りしてます。幸い仕事(薬局)も順調ですので、何とかやって行けます」と決意の程を語っておられた。

その後、結局市政90周年を記念して寄贈した、とのこと。

しかし、現在の若松城麟閣には「指月庵」の痕跡はない。
腰掛待合も森川家から移築されているが「休心舍」としての説明は無いようだ。
つくばいは移築されなかった可能性が高い。

少庵作を強調したいということだと思うのだが、森川家時代を無かったことにしている様で、若干失礼な気がする。