茶道規範9 聞書 客來る時迎への事

第十二 客來る時迎への事
一 小座敷へ入り爐中へ薫物くぶる(略)
手燭持出て中潜外の潜口際の踏石に置は惡し(此石には亭主居て客へ挨拶する所也)
見計ひて脇の石に置くべしとなり(略)
一 手燭は常に用ゐる長柄然るべし笠をかくるなり雨降りには竹の子笠の下へ入持行くなり

この頃の宗偏流では迎え付けに手燭を必ず使ったのだろうか?昼であろうが…。
今はどうなんじゃろうね?

なお「手燭は常に用ゐる」は茶道便蒙抄にはない。

一 挨拶過ぎて亭主入時中潜りの戸三つふせ程明け置き入るなり。
猿戸もかけ金懸けべからず總て客の入來る所の道此の心得なり
〆切置時は客入らざる也

最後の一行は茶道便蒙抄にない。ちょっと考えれば…考えなくても判ることだ。
ゆとりというか親切過ぎというか…もしかすると閉め切っちゃう事件が発生していたのだろうか?

一 當代は待合と號し別に構ふ事古しへは之なき事なり。
客の來り次第一人宛にても直に小座敷に入る事なり。
其故に亭主度々迎に出る事を厭ひ相客申合せ揃行たるがよしといふなり
客一人にても來らば待合に待するはあしヽ早速迎に出でべし。
されども敬客師匠などの詰にて先に來る客ある時に庵主迎に出たりとも先づ相客揃ふ迄待合すべきよしを言て腰掛或は中潜外の軒下に待合すを亭主心遣に思ひ假に席を繕ふ是は侘人の小座敷計りの者別に其所を構へしより始まるものなり。
故に砂雪隠の間尺はあれ共、待合の法式當流に之なし(略)

待合は客へのいたわりであり、元々宗偏流には無かった。だから法式はない、というのは面白い。

お茶が真剣勝負から、接待に変わっていった経緯を見るような気がする。