茶道規範22 聞書 廬地入の事

茶道便蒙抄にないことが、聞書にはある。

便蒙抄の

一 朝會には手水つかはず。朝は會前に茶を不呑故なり。
但し時宜によるべし

一 朝會にも手水遣ふがよし。夜深に行く故に食前薄茶呑ざれは遣ふに及ばずといへども時宜によりて遣ふべし。去ながら寒中手水入らざる時は其意に任すべし

に改変されていたりするのも気になる。


しかし、以下の様なまったくない項目は、明治以後の必要性で書かれたものなので興味深い。

客順の事。
貴人又は巧者の人正客たるべし。
末座に居る事卑下なれども末座も巧者入る事なれば初心の者は相客中へ斷り中に居てくるしからず。
巧者の人に末座を頼むべし。
貴人初學の人たらば巧者のもの直に次に入るか又は末座に居て挨拶又は道具所望の手落なきやう心付べき事なり
(略)

江戸時代には、正客が当日その場で決まる、というような変な事はなかったが、大正時代には、そういう事が起きる様になった、という事を示す証拠であろう。

たぶん、通信と交通手段の発達で、茶に招ける客の範囲がひろがったのが一つの原因だと思う。

しかしそれ以上に、亭主に「誰を正客とします」という強い意志がなくてお茶が出来るようになった、という事がこの変化を生んでいる気がする。

変な話である。