茶道規範23 聞書 座入して作法の事
客座入り作法、茶道便蒙抄に比べ大幅に増えている。
江戸時代に比べ、約束ごとの多くなったジャンルと言える。
一 座入の事。惣て能々考へざれば騒々敷ものなり
上座は正客に随て定むべし。
他流の者と客中組合たる時當流はかやう。末流は非儀などヽ思ひたる時は却て失禮も出來るものなり
自分正客たらば心得たる通りすべし。
(略)
正客に合わせなさい。他流と一緒の時、相手を末流と見下してたら失礼になる。
自分が正客の時は堂々とやんなさい。
ということ。
江戸時代の地場だと、同流で独占できてそうだから、他流との混在が多くなる時代の流れか。
一 老人等懸物の文字細かにて立ちても猶見えかぬる時は床へ上りて見物すべし。
老若ともに苦しからず。
見終りて床を下り床ふちの方右にても左にても勝手よろしき方の手を縁にかけ頭を下げて立つべし是習ひなり。
飛鳥井家の座敷鞠といふ事あり。床に鞠ありて蹴る時此あしらひあるよし
見えなかったら床に上っていい、てのは面白いけど判る。
床框に手をかけるのは、床柱だと危険(床柱が)だからだろう。
頭を下げるのは、危険(頭が)だからだな。
飛鳥井の座敷鞠は全然、判らん。床に鞠があったら蹴り出していいっつーの?
當代は煙草盆出しても吸はざる人あり。
當流は構はず呑てもよし。
(略)
煙草盆に関しては、利休時代無く、江戸時代に出来、大正には廃れ、昭和にはただのポインタになったとの認識。
茶人のほとんどが女性になったこと、女性の喫煙に厳しい考えがあったこと、そしてキセルの使い方を皆知らなくなった事が原因だと思う。
かく言う私も煙草はくわえた事すらないんですが。
んでこの条項。
茶主巧者なれば。約束なしとも客中心安き者あらば頼みて押かけ行て苦しからず。
其時は來着の案内言入る時に誰と申仁兼て懇望に付押かけ來りたる段言入べし。
(略)
押かけの仁は客の高下に搆はず末座たるべし。是れ其日の兼約たらざる故に押かけの禮儀なり
推参御免条項。
えーーーーーーー?アポ取ってないで行っていいの?
小間に人が入り切れん事になりそう。食器の数や料理の量にも影響が…。
この際「茶主巧者なれば」が重要なんだろうけど。…亭主大変すぎる。