茶道規範26 聞書 茶立る時の事

茶道便蒙抄と聞書両方とも、これではじまっている

一 主勝手口の障子を明茶を點るべき哉と伺ひたらば然るべきの由挨拶致すべし。
(略)

つまり、江戸時代も大正時代も「お茶だしていいっすかね」「どぞ」でお茶がスタートします。なお1977年の「茶の湯テキストブック 宗偏流」では「一服差し上げます」でした。

亭主からの一方向に替わる過程は、茶の湯の女性化と関係してそうな気がしますな。


茶道便蒙抄と聞書の微妙な差のあるところ。

茶道便蒙抄:

一 主茶を立。茶碗を出す時。正客より主へも相客へも茶をまづまゐるべきよし一禮あるべし。
(略)

聞書;

一 主茶碗を持ち客の方へ向ふ時に先主呑まるべきよし挨拶すべし
(略)

江戸時代には、お茶を出される正客が、相客と亭主にも相伴を求める挨拶がある。
つまり、本当のお客は正客のみ。

大正時代には、正客が亭主の相伴を挨拶する。
つまり、相客含めてお客。

んで、大正時代は正客より先に亭主が相伴する気がするのだが、江戸時代は微妙?
でないと正客が最後に呑む事になりそうだから。

一 末流の人茶を呑むを見るに椀中へ鼻息の入るを厭ふ心にてや香を嗅くやうに面を横に一口呑みては向き、又は茶碗を廻すなど甚だ見苦敷くして極寒の時などはひねり廻す内に茶もさめてよろしからず。
然れども次に至り茶つよくおどみたらば少しは廻してもよし

ちゃっちゃと呑め!と言っているんだと思う。


んで、聞書では削除されちゃった項目。

一 濃茶の跡にて湯を好む事あり。當代は濃茶を呑仕廻是に湯を入御出しあれと申時亭主も心得顔にて湯を入出す。
近頃むさき事なり
但し茶を大切の心得にて時宜に湯を好むか全く其心得にはあらず相違なり。
茶の湯の水の念入たるを賞翫せんために湯を好むなり
それにより亭主よりも只うすちやまゐり候へと申すなり。
(略)

すすぎを求める習慣に関しては宗偏流は廃れさせたかったんじゃないかと思う。