茶道規範33 聞書 盆点の事

茶道便蒙抄に、盆点の仕方が書いてある。

一 盆立にする茶入は唐物日本物に不限名物なる時は盆にのせ立てよし(略)
一 柄杓蓋置は年若きものにても手水の間に釣棚か堂庫に置てよし(略)
一 客案内あるを聞(略)
一 主茶立に出る時茶碗を建水の座に(略)
一 右の通り茶碗を置て(略)
一 勝れざる茶入を盆立にする時は始めより袋を取て(略)
一 建水は勝手口の際(略)
一 爰にで客へ膝御直しあとの一禮有べし(略)
一 茶入を前のごとく諸手にて取(略)
一 此時客より茶入所望あり(略)
一 次に客より盆を望むなり(略)
一 客茶入見物の事座の眞中に置一同に手をつきながら見べし(略)
一 主座へ出たる時客より茶入を床へ御揚候て見せ給ひと望む(略)

こんな感じでいろいろ書いてある。


それに対応する、聞書の同個所の記述、全文。

一 盆點臺天目臺子は古實あるゆゑに諸流とも殊さらに是を秘事とせり然れ共其人によりて點前熟練するに隨ひおひ/\其ちからに應じて許すなり。
又初學の人たり共貴人招待か茶入拝領の時は其人の所望によりて之をゆるす。
其故はあらまし便蒙に出し置けり
是を習ひたりとて手前初より能く成りしと思ふは僻事なり。委敷は別に記す。

こんだけである。

江戸中期。宗偏の頃、台子系のお点前は、まだ神格化されていなかったのかもしれない。

しかし大正時代。そんな秘伝をすらすら書くなんてとんでもない!そんな感じになっていたのかも。

宗偏の頃とは台子の地位、茶道家元の収入構造が変わってしまったことを、この部分は示しているのだと思う。