茶道規範41 聞書の位置付け

昨日ので聞書は終わり。
長々やってきたが、茶道便蒙抄と聞書について一辺総括したい。


茶道便蒙抄は宗偏の頃…江戸中期の前半あたりの茶を反映している。

聞書は大正時代に、それを解釈し直したものである。

大正時代の宗偏流の危機感は口伝による伝授で、各地方のお点前にバラツキがあること。

それを、聞書という書籍で、統一化をはかろう、というのが聞書の「表向き」の目的である。


おそらく本当の目的は、トルコ帰りの実業家であった山田宗有/寅次郎のガバナンス強化であろう。

40年の家元不在期間から、宗有が家元を襲名したのは、本書刊行のわずか2年前に過ぎない。

その40年の間に、宗偏流の地方組織は宗家からかなりそっぽを向いていたんではなかろうか?
集金機構がどうなっていたかわからないが、少なくとも宗家の威光は利用できない状態で明治後半と大正前期の近代数寄者の茶の湯華やかな時代を棒に振ってしまったわけだから。


そこで流祖の便蒙抄を、宗有監修の下で現代の茶の湯に再編し、「強い上意下達」として展開する必要が合ったのだろう。

・口伝を極力排除する
・体格の小さな女性への配慮
・他流(末流)とのつき合い方

が含まれるのが面白い。

流祖の本だけを神聖化していてはいまどきの茶の湯はならぬもの。そういう風に地方の弟子達に思わせるのがガバナンスの第一歩…そんな戦略的な狙いを感じる本であった。