茶道規範43 要録 座席之段々同床之事

一 掛物之事墨蹟ヲ用ユ
名僧ノ要文要語ト云共茶主ノ歸依ニ因テ用捨アリ
五山派ハ不用
子細ハ當道祖師タル利休宗易無他念紫野大徳寺ヲ歸依タリ
且一山悉茶道ノ門弟也
是以テ今ニ至テ彼ノ僧ヲ尊教ス
然ニ宗易敗死ノ時
大樹君秀吉公一山之僧徒等御怒リニ遇フ
是常ニ利休ヲ用賞シ寺内山門ヲ建シメシ大檀那タル故也
至于此塔頭ノ北派學テ贔負ス
就中聚光院古渓宗陳ト云ハ宗易ハ我檀越タリ罪ニ及ベクンバ一己ニ歸スベシト其氣ノ不傷世以感各御奉行其意地ヲ感ジ賞ゼラル故に一入ニ北派ヲ用テ南派ハ不用ト也
(略)

掛け物は墨跡を使う。
名僧の文でも亭主の宗派によってはダメだかんね。
五山の僧のは使わない。
だって利休が大徳寺の大ファンだったんだもん。
それにあそこの人、全員茶人だったし。
だから大徳寺はリスペクトすべきなんよ。
利休が死んだ時、
秀吉の怒りを大徳寺は受けた。
利休が大徳寺の大檀那だったからね。
特に北派はご贔屓だった。
古渓宗陳なんか利休をかばってくれたから、北派を使うの。南派は使わない。


…いろいろ書いてあるけど、結局大徳寺北派のしか使わないんじゃん…。
禅僧を尊敬している、といかいうのじゃなくて、贔屓してくれた縁故採用

宗偏は、もともと浄土真宗だった筈だから、その辺含むものがあったんじゃろうか?


あと、「宗易敗死ノ時」という表現気になるね。
何に「敗けたの」だろう。権力者に生殺与奪の権利があるのは江戸時代だって一緒。秀吉に死を賜わった、というだけでは「敗死」という表現にはならないんじゃなかろうか?