茶道規範45 要録 第二 廬地之制大概之事

(略)
打水之事寒暑ノ時ニ不拘廬地ニ流如ク可打
毎戸ニ打掛吉
末流ニ打ベキ時分有テ客ノ可歸時ニ打ヲ立水ト云リ不可用
暑天ニハ間モナク水ヲ可打
酷寒ノ節水其儘凝ル程ナラバ不可濺
雪ノ後ハ水不打也通リ道ノ飛石ノ上堆土ノ道通リバカリ雪ヲ帚除べし
朝ハ必ズ操*1洗ノ水ヲ鉢ニ不可入凝テ難用時ハ水不可入
飯膳ノ上湯ヲ出ス時分水ヲ可入
猶氷テ難用バ塗片口ニ熱キ湯ヲ入テ出シ置ベシ
(略)

打ち水は季節関係なくドバドバ打ちなさい。
全部の戸に掛けてもオッケー。
他流では客の帰る時分に立ち水といって水をうつけど、しません。
暑い日には間を明けず水を打っときなさい。
寒くて凍る用なら水打つのダメ。
雪の後は打たずに掃きましょう。
朝は必ず手水に水を入れない様にしましょう。凍って難しいときは水を入れてはいけません。
懐石の湯を出す頃に水を入れるべき。
なお凍って難しければ塗りの片口に暑い湯を入れて出しなさい。


ちょっと手水のかかり結びがわからない部分もあるけど、まぁあとはなんとか。


客が来る前に水を打ち、客が懐石中に手水に水を入れる。

なんか変に思うけど、この時代は朝会…暁の会がメイン、と宗偏も書いている。

だから、席入りの時には手水を使わない。中立には使うので、その直前に水を入れる。
夜明け前の頃には辞去しはじめるので、そうそう打ち水が乾かない。
だから立ち水はよっぽどでないとしない。
そういうことか。

南坊録の「三炭三露」は、昼会の時代が来てからの発想かもしれない。

さらに、ここでの打ち水は、客の足が埃で汚れないための対策にしかすぎないのではないだろうか?宗教的な「清め」の儀式であれば、酷暑の時しか三度目は打たない、なんて事はありえないからだ。

*1:手偏でなくさんずい