茶道規範57 要録 花入

竹ノ花入之事相州小田原陣ノ時利休始テ作ル節一ツ入テ伐リ尺八ト號シ秀吉公ヘ献ズ
(略)
其時又節二ツヲ入口ヲ開テ伐リ園城寺ト號ス此筒ニヒビノ破目アル故ニ三井ノ鐘ニ託スルカ息少庵ニ與フ此制ヲ一重ト云フ
其後大竹ニテ二節二口ニメ二重ト云フ花生トメ終ニ小座席ヘハ不出利休死後其作タルヲ以テ小座敷ヘ出シ用ユ
是後人ノ賞スル所也
(略)

竹の花入の起源はいつもどおり。

ただ、二重口(「夜長」だろうか)に関しては、侘び茶にふさわしい道具ではない、と利休が考えていた事がわかる。

さらに、それを受け継いだ人間が、その利休の意をさくっと無視したことも。
だから「誰」とは書いていないのだろうか?

二重ニハ上ノ重ヲ第一ニ入ベシ下ニハアヒシラウベシ水バカリ入テ花ナク共吉
一重モ上第一トシテ口ハ二重ノ心也
草花ト木花上下ノ習ヲ末流ニ云リ不用

二重切の使い方が書かれている。

如心斎は「下の方に入れろ」と指導していたようなので、同じ千家系でも統一はされていない様だ。

また「他流」には、上には草の花を、下には木の花を入れる様な教えがあったようだ。