茶道規範60 要録 義政

足利義政の話。

将軍家義政公ノ時文明中家督ヲ御息義義尚公ヘ譲リ東山慈照院ニ籠居有テ専ラ茶ヲ好玉フ
是皆碾茶ニ非ズト云事ナシ
此時ニ當テ茶道ノ達人多ク出來レリ
其後天龍寺ノ僧大明ヘ往テ茶器多ク持來レリ即チ天竜寺時代ト云是也
策彦謙齋是也ト云リ
従是先皆煮*1茗ヲ用ユ今ノ煎茶也
(略)

足利義政の茶は抹茶。だが利休達の抹茶の前に「天竜寺」の煎茶が流行っていた、という認識は、意外である。

なお策彦が生まれたのは義政の死後。「其後」は相当後ってことになる。

東山喜山公ニ至テ當道ノ達徳人多ク出テ點茶之法ヲ定于茶器于灰炭于飯膳于座席其外悉ク格式ヲ設ク

他の茶書の様に、ヒマぶっこいた義政が、「誰かおもろい芸人呼んでこい」といって珠光を呼んで来た事になっていない。

これは珠光を軽んじているのではなく、むしろ逆。
珠光を神格化上で、呼ばれた芸人扱いを避けたということだと思う。

*1:者+火