茶道規範62 要録 数寄
一 數奇之事字書曰一者奇也二者偶也ト注ス
数奇の字は字書では一は奇、二は偶と注される
ということで、数寄という言葉から。
数寄でなく数奇であるのが面白い。
(略)
李廣傳云太将軍陰受上誡以為李廣老數奇也母令當單于
奇数の定義は省く。
史記の李広伝に「大将軍(衛青)もまた皇帝の内意で縛られていた。李広は老いて数奇(占いの結果が悪い)である。単于と戦うな」とある。
世ノ富賑トソウ*1々タルヲ遁テ寒素ニメ聚螢映雪貧乏ヲ樂ミ山居シテ遣世慮者世俗ノ眼ヨリ見時ハ誠ニ人タル數ノ餘零數奇者ト云フベシ
數奇屋ト云モ是以推テ知ベシ。
世の中の賑わいから逃れて、貧乏を楽しむ者は世間から見れば余り者である。
これを数奇者という。
数寄屋というのもこれをもって推し測れや。
茶道ハ侘ヲ本トス
故ニ茶具一色ヲ數度ニ用ユ
奇ハ一也
是以テ數奇ト云ト大ニ異也
(略)
「茶道は侘びが本質だから、一つの(奇数の)道具を複数回使う。だから数奇なんだ」というのはぜんぜん間違いなんでよろしく。
さて、前半は、数奇に不幸せの意味合いがある、といった話。
中ごろは、数奇者とは世間のあぶれ者である、的な話。
最後は同じ道具を数回使うからってのは違う、という話。
昔は音を重視し、綴りに関しては適当に当て字して普通だった。
しかしながら、ここまでかかれたら「数奇」は「数寄」の当て字である、とはとてもいえない。
現代我々は数寄を「数を寄せる=名物道具を持ってる」の意味合いで使う事があるが、宗偏はまったくそれを採用していない。
どころか、「数奇=道具が少ない」の意味合いさえあった事を教えてくれる。
数寄、という言葉に関し、どこかで字としても意味としても転換されてしまった…という事だろうか。
個人的には不幸せ/外れ者の意味合いを含む数奇の方がこの道にはふさわしい気がするが。
*1:窓からウ冠を除いた字