茶道規範65 要録 手水

第九 手水之事

水門ヘ立寄リ先ヅ柄杓ノ置ヤウヲ能ク見テ同友ニモ能ク見セシムベシ
鉢ノ形ニ因テ置ヤウアリ善惡共ニ如元置ベシ是法ナリ
(略)

手水についたら、まず柄杓の置きようを見て、相客にも見せて、その格好の良し悪しに関わらず亭主が置いた様に戻すこと。これルールな。


考えてみると柄杓を適当に戻しては、次の人が使いにくいかもしれない。
亭主が置いたように置くのが適当ではある。

ここで注目したいのは、相客の事を「同友」と呼んでいる事。

初対面の人とお茶をしがちな、現代の茶の湯が忘れていった部分を思い出させる。

又極寒ノ時分ハ塗片口ニ湯ヲ入テ即片口ノ石ニ置ク其湯ヲ遣
蓋ヲ取テ水ヲ加テ生熱湯トメ掛テ可遣
湯多キ時ハ口ヨリ掛テ遣フ事難成因テ柄杓ニテ汲ミ用ユベシ
必ズ熱キ湯ヲ置ク事也

塗片口に入れたお湯は「片口の石」ポジションに置く。
蓋を取って水を加え、適温にして使う。
湯多い時は口から出せないので、柄杓で汲んで使う。
必ず熱湯にすること。


寒いとき、片口などで湯を出すことはいろんな本に載っている。でも具体的な使い方に乏しい。
本書はそれを載せてくれている。

使い方は、片口の蓋を取って水を加え、適温にしてから、片口をかたむけてぬるま湯を口から出し、それで手を清める。
湯が多すぎるときはかたむけにくいので、柄杓で汲む。


正客の仕事としては大変な部類か。

一 朝ハ手水不遣事凡ソ手ヲ洗*1フノ本意脂氣ヲ清テ茶具ヲ取携シガ為也
然ルニ朝ハ膩氣ナシ此故ニ手ヲ不洗共ヨシ
但シ可清事アラハ格別ノ事也
(略)

朝手水を使わないでいいのは、手を洗うのは手脂を取って茶道具を拝見する為にあるから。でも朝は手に脂っけはないので、洗わなくていい。ま、ケースバイケースだけど。

便蒙鈔の「朝は會前に茶を不呑故也」とは違う理由になっている。
こっちの方が具体的であり、実際的だ。


「心頭を清める」とか、そーゆー抽象的なものではない。
この書と南坊録が同時に成立した、というのが元禄時代の面白いところかもしれない。


もっとうがった見方をすると、この頃の京の町方の茶の湯は名物に触れる機会があったが、福岡の武家茶の湯はそーゆー機会もなく「なんの為に手水って使うんじゃろ?」というのが空洞化して、なんかしら意味をつけないといけなくなっちゃってたのかもしんない。

*1:操をさんずいにしたもの