不昧公と茶の湯4 蒐集癖

不昧公が、せっせと茶道具を蒐めたのは、天下の名器が散佚するのを慨き、今のうちにこれを集めとり、永く世(子孫)に伝えようというので、単に自身の好みばかりでは無い、という説がある。

ということで、不昧の道具収集について。

私は、不昧が道具を集めまくったのは、藩の財政再建に成功し、成金になったが故のお大尽、だとしか思っていなかった。

だが、本書の視点はひと味違った。

以前は世間へ出廻る前に幕府へ献上させた。
したがって、そうした「名器」は買いたくても市場というものが無かった。
しかるに、商工発達で情勢が変わるにつれて、農を基盤とする幕府も各藩も、次第に金が無くなって行く。一方町人社会には、どしどしと分限者が出来るということになった。
(略)
ここに仲介機関であり、かねて目利きする道具屋さんという新しい商人が出現することにもなる。

茶道具がお金で流通する社会、というのがあったのが重要だというわけだ。

あたかも不昧公は、こうした世にめぐり合わせたものであって、もう百年早く生まれていられると、どうしてどうして品物は集まらぬ、無いものは買えないはずだから。
(略)
好き道具を蒐める秘訣というものを、よく人が説くが、第一に品物に廻り合うという「運」が無くては、どうにも致し方ない。
その点不昧公は、まことに好き時代に生まれ会わされた幸福人といわざるを得ない。

利休の前から茶道具はお金で流通していたが、確かに名物道具はあらかた幕府各藩に収まってしまっているわけで、そんな簡単に買えるものではないわいな。

ただ、この結論に至るには、雲州蔵帳の道具のうち、他の大名家の道具だったものがどれだけあるのか確認しないといけないと思う。