閑夜茶話2 道統
●能阿彌──空 海──北向道陳──北向易庵──┐
├─千利休居士宗易
●珠 光─┬篠道耳──宗 悟──武野紹鴎──┘
└引 拙
壺中爐談で立花実山が語る系譜とちょっと違っている。
●能阿彌──空海──北向道陳────┐
├─利休宗易──南坊宗啓
●珠 光──宗陳──宗悟──紹鴎──┘
南坊録のオマケ?壺中爐談にはこう解説がある。
利休、壮名輿四郎、道陳の門弟なりしが、紹鴎の宗匠として世にもちひらるをもて、道陳の引合にて、輿四郎を鴎の門弟に譲り頼しなり
閑夜茶話はこう解釈する。
南坊録には、道陳とあり、然れども、時代を以て考ふるに、易庵なるべし
紹鴎より道陳の方が長生きなわけだから、実はこの考証は間違っている。
むしろ「利休は紹鴎の弟子」の方を疑うべきだったのだ。南坊録からだけ引いているのでこういう考証になってしまう。
しかしながら、井伊直弼が南坊録をすごく読み込んでいたことは間違いない。
井伊直弼は極初期の南坊録研究家であり、そして、もっとも早く内容に異義を唱えた人なのかもしれない。
そして彼が異を唱えられたのは、自身が殿様で、伝授してくれた人に遠慮する必要がなかったためかも知れない。