閑夜茶話10 遠州

遠州がらみのエピソード。

一 遠州へ加州より庭預りの者を遣はされ候て、露地の掃除、庭の模様承り度よし申候へば、兎角きれいなるは惡し、左樣に心得候へと仰せ候故、庭奉行然らば不掃除の方然るべきやと窺ひ候へば、遠州言く、きれいなるさへ惡き故、ましてはむさきは宜しからずと答のよし申し傳ふ

ただ掃除した上だけの「きれい」程度ではなく、さらに作意でよりよくしようよ、というのが、遠州っぽい話でよい感じ。

一 遠州へ加州より懸物の好みを尋ねられし答に、狐が犬を追ふやうに致すべしとなり。
此事小堀家書留に殘るよし

これは判らない。「狐が犬を追う」は、「どっちがどっちか判らない」の意味。
読んでも判らない様なものを掛けろ、という意味か?

一 遠州は茶湯たりとも上下を着せられず、袴なり。
是は遠州時代勤仕繁多にして登城の歸り其儘茶湯の席へも出られしより、其流今に上下は着けざる定法なり
(略)
一 遠州は茶湯の節、一席にて茶二服はのまず。
薄茶は鎖の間に移りて進むる事なり。
されば後炭には釜の蓋切りて後、爐縁の塵を三羽にて掃込む。
是れ此の湯にては再び茶を進めずとの意なりとぞ。
遠州の流、今に此くの如し。餘流になき事なり

江戸時代は遠州流の時代ではなく、石州流の時代。遠州流と交流する機会はあんまりなかったのではなかろうか?
少なくとも直弼の考えていた「標準的なお点前」からは逸脱した流儀だったのだろう。