閑夜茶話9 織部

閑夜茶話に於ける織部の伝承。

古織茶湯の歸りに或所に立寄られしに生垣の外の不掃除なりければ、途中の談に云く、古き發句に
 深山とて咲けばおとらぬ櫻哉
と云ふ句を以て掃除の心得とすべしと。

「掃除すれば綺麗になるよ」程度の意味合いだろうか?
ピンと来ない例えである。

古織風爐先屏風に序破急の馬三疋畫せて、常に向ふに立てヽ置かれたり、
是は手前の序破急を思ひ忘れず、又手添し人にも稽古致させんが為なりとぞ。

お点前が様式化し、そして茶人が茶の師匠化した江戸時代中期以降の影響を受けたお話。

古織人に花を贈らるヽに、葉がくれに蜘の巣ありしを咎めければ、夫こそ新しき印なれと答へられき、花を贈るの古格たるべし

特に異論はない。
現代の茶の座敷でもテントウムシやらアブラムシやらいろいろ這っている時はありますし。

織部燒と云ふは古田織部庭燒にせられしを今に寫し製するなり。
道八燒と云ふは、織田有楽二男左門頼長晩年洛東に隠居し祝髮して雲生寺と號し、
又道八と云ふ。
其頃洛東にて親ら燒かれしよりの傳來なり
(略)

織部焼織部の茶碗、と言われるのは今とおんなじだが、道八焼はあまりにも解せない。

なぜなら仁阿弥道八は安政2年没。直弼より年上ではあるものの、同時代人である。
有り得ないと思うのだが……