閑夜茶話12 三齋

細川三齋は利休の弟子なり
或時京都より伏見へ利休を迎へに參られ候
折節途中より雨降り候へば俄に我乗物に利休を載せて、三齋は供にて歸られ候と申傳ふ
師弟の仲かくもありたき事なり

…雨が降って来なかったら利休が歩きで、三斎は駕篭のままだったわけか。

それで「師弟の仲かくもありたき事なり」なのね…この辺の身分制内での機微はもはや理解し難い所。
少なくとも徳川幕府の体制側もいいとこにいた直弼には、非常に納得の行くほっこりしたものだったようだ。

茶湯の半にて客據なく退出致すべき時は亭主心得て早く釜の蓋〆る事故實なり。
三齋翁吉田にて松本氏東武へ發足出立の茶事に何れもは咄されよ松本氏は立ちめされよ、いざ釜の蓋しむるぞとて、三齋翁釜の蓋〆られしとなり。

これは席を立つ人が巻き上げた埃が釜に入らない様にする為なのではなかろうか?
でもその場合、水指の蓋はどうしたのだろう?

言及されないということは、水指の蓋は使うときだけ開き、すぐ閉じるようなものだったのかも?

三齋流には茶巾を各所持いたして、己が茶巾を何方にても用ひ、跡を持歸るといふ。
三齋自身にもかく致されしにやいかヾ

客が茶巾を持参し、持ち帰る、ということは湿し茶巾ではない、ということか。
乾いた茶巾だといろいろ不便な気もするが…