閑夜茶話13 七哲

その他の七哲の事蹟。

一 桑山左近數寄屋を立てられ候は一兩年前に苦竹をむざと澤山に植ゑ、少々松なども植候て扨數寄屋を立候前先達て地形の處并に道筋飛石など据ゑ候處を、むらむら廣狭は有之
恰好よき樣に竹を掘り抜き、扨數寄屋を立てられしよし殊の外寂露地になりて面白しとなり。

桑山左近の事蹟。

数年掛けて庭をまず山里の様に改造して、こんどはそこを整地する、という迂遠なやりかた。

先に建物立ててから植物植えると、キワキワまでは植えられないから、案外この手はいいのかもしれない。

一 古織物語に芝山監物大坂屋敷の床の柱なきを尋ね求め、大工藤五郎と談合して炭荷ひの棒を立てられ、或時監物利休に此柱好く候やと申され候へば、一段數寄ありて見事なりと誉められたり。
芝山勝手へ入り候時某利休へ好く候やと尋ね候へば、亭主は盲目にて候斯樣に歪みたる細き柱床へ立て候と申されき、床柱は少しにても歪みあるは惡し、懸物もゆがみて見え候と云々。

織部の語る芝山監物の事蹟。

利休に陰口は似合わないなぁ。
大坂に屋敷があるんだから、聚楽第ができる前。天正15年より前の事か。
その頃には既に利休の下には七哲が居た、ということだろうか。

一 待合中潜りへ亭主迎えに出るとき脇差さす事曽てなき事なり。
休師時代戦國の最中なれども、左樣の事はなし。
其比勢田掃部利休を朝會へ招くべきよし約束しければ、利休は七つ時參られしに何としてやらん疾く忘れて未だ何の支度もなく、釜も未だ掛らず、其時に掃部脇差指て中潜りまで立出で如何仕候やらん。
忘れて未だ下火も入れ申さヾる仕合故近頃不調法ながら今朝は先づ御歸り下され候へ重ねて又申入れるべく候と挨拶あり。
利休も成程左樣の儀有之事にて候苦しからず又重て參るべきよし申され歸られき。
跡にて掃部家來を呼び直に數寄屋打破り今日面目失ひし故、重ねて茶湯相止る由にて、夫より茶湯致し申さず。
右の所存ありし故に脇差もさして出し由脇差さして迎に出る事不吉の例なり

勢田掃部の事蹟。
茶の準備が出来ていない早朝(夜)に脇差出して出て行くのは、完全に約束を亡失していて
防犯気分で脇差さして出ていったのだろうか?
というか、茶人辞めて当然ぐらいの話だけど、七哲の数少ないエピソードの一つがコレか…。