釉から見たやきもの

芳村俊一/光芸出版/1982年。

私の様な陶芸素人に、釉薬について教えてくれる貴重な本。

…もしこの本がウソだらけでも見ぬけねーけど。

ここでまずふつう一般に「釉」と呼ばれるときの常識的な条件を書いてみましょう。

1 胎の表面に付着させられること

窯入れ前にいわゆる施釉して付着させられるか、また焼成中に蒸着させられること(塩釉、辰砂など)。

長石の石塊や石粉だけでは付着させられない。
石粉の状態にして水を加えてはじめて付着させられる。だから「長石は釉である」というのは正しくはないが、ふつう、細粉化、加水の言葉は省略されている。

2 適当な音頭で融けてガラス質の膜層になること

普段陶芸をしている人間には当然であろう「釉を付着させるには粉にして水で溶かないといけない」という概念から教えてくれるのでありがたい。

でもこれから筆を進めて行くのに困ることがあるのです。
それは前に少し触れましたが胎にかけて焼く前のものを釉というのか、それとも焼かれた後のものを釉というのか、この点です。
ふつうは「釉をかける」「釉を焼く」といいますから、釉といえば焼かない前の物質を指すはずですが、「この釉は美しい」とか「この釉はよく光っている」とかの言葉使用ではあきらかに焼かれた後のものを指しています。
そして現状ではこの混同が許されています。
(略)
それにしてもこの“焼かれた後の釉”に簡単でかわいい美しい名称はないものでしょうか?

なるほどなー。
生釉と焼き釉じゃだめなんかいな?