釉から見たやきもの17 青磁

われわれは美術館や古美術商などで、茶褐色のやきものに「青磁」とのラベルを貼ってあるケースによくぶつかります。
“ヘェーッ?これが青磁?ちっとも青くないじゃない!”と思います。でもひょっとしたら昔の人はこの色も“青”と呼んだのかもしれません。

茶褐色のやきものに青磁という名がついているのは、青磁の作り方で作っているからで、呈色が青でなく褐色に見える、ということらしいのですが、見た目褐色でも昔の人は青だと思っていた可能性がある、ということらしいです。

よく青磁の色の濃さと水の深さとのたとえ話を聞かされます。
バケツに汲んだ水は透明に見え、池の深さの水は緑に見え、海の深さの水は紺に見えます。
青磁の色もそれと同理で、釉の厚さが増すほどその色も濃く見えるのです。
(略)
さて、われわれが日常接しているガラスには、全部なんらかの形で鉄が入っています。
この微量の鉄を含むことにより光への対応が水によく似たものになると考えられます。
しかし鉄はコバルトに比べ人間の目に感覚を与える呈色力は弱いものです。弱いから、実は青磁が成立するのだと思っています。
(略)
さて、われわれが日常接しているガラスには、全部なんらかの形で鉄が入っています。
何回も書きますが、人間の目は青緑系の光線に対して敏感ではありません。
そして鉄の呈色力はそれほど強いものではありません。
この両者の複合した系列の上で、白磁、青白磁青磁が成立しています。

弱い呈色力の鉄だからこそ、鉄の量や釉の厚みで色が変わり、深みも出る、ということでしょうか。
たしかにコバルトではこうはいきませんね。
水彩絵の具とポスターカラーのような関係かもしれません。

人間はどうもごまかされることに快感を覚えるようです。
愛とか恋とか地位とか名誉とかそんなものは、その対象にごまかされ、さらにそれによって自分自らが自分をごまかして快感を覚える以外の何ものでもでもありません。

ぬお、唐突なかっこいいセリフキタコレ。
なかなか人生でこんなセリフ吐く機会無いっすよ…