茶道文化論集5 東求堂同仁斎

文明十六年(一四八四)、持仏堂兼書斎として建築された。
(略)
南面の持仏堂を主体に、その背面の東北隅に四畳半の書院、これに西六畳の座敷を配した。
書院は同仁斎と名づけられ、付書院間半(一間の半分)の違棚を備えた。
これに漢籍を重ね、唐物道具の棚飾りをして楽しんだのである。
また縁に出て園池を賞するしつらえでもある。
この同仁斎は茶室の起りと説かれたが、近年、解体修理工事の結果などからしても書斎説は動かない。
ここで義政が茶味を楽しんだことは考えられるが、むしろその西六畳の間に禅院の茶礼の間(寝室にもなる)の機能がしのばれる。

同仁斎が茶室でない、というのはなんとなく納得できる。
なにしろ付帯設備がないからである。

しかし書斎としてはどうなんだろう?

建物の北側にあるということは、そんなに明るくないってことだ。
読み書きに適した環境ではない気がする。


ただ、本の保護を考えると、直射日光のあたらない北側はいいのかもしれない。

また、大型の寝殿造りの建物を見学すると、中が大変暗い、という印象がある。
部屋が広すぎて、外光が中まで入って来れないのだ。

四畳半、という狭さがそれを緩和し、中まで比較的明るく感じられるとしたら、北側でもよいってことになるかもしれない。