茶道文化論集16 北野大茶湯

北野大茶湯は秀吉の事蹟のうちでも特筆されるべきものだった。
したがって、秀吉の伝記を語る『太閤記』の類には、精粗の別はあるが、これの記事がある。
(略)
松屋久重は、久政・久好父子が北野大茶湯に奈良衆三六人のリーダー格として参会したことを誇りとしてその参会記を特集した。
その記事が北野大茶湯の文章として世人に改めてもとめられるに至ったのがわかる。
かくて『北野大茶湯記』は寛永年代に世に出たということができる。
太閤記』などではもの足りない人々がこれを望んだのである。

北野大茶湯が人口に膾炙する様になった発端は、江戸時代初期のベストセラー、太閤記にその存在が記されたからだという。
さらに、その記述と人気に押されて、松屋さんなどが詳細回顧版を作成した、と。

太閤記みたいな怪しいエンタメ作品にそんな効果があったとは思ってもみなかったな…。

北野の森の大茶湯は国民共通の楽しみを具現した。
(略)
つまり、茶道精神はこの北野大茶湯において培われたといってもよい。
茶湯や茶湯者に対しては、政情や時局の制肘が加えられたりするが、茶湯の指導精神は確個となる。
これに磨きの加えられたのが寛永時代であり、北野大茶湯によるものだが、これの
触書がこれを鼓吹したのである。

茶道史上はじめて、茶湯は最高権力者が公認した娯楽となり、「茶なき者はこがしにても苦しからず」という侘び茶の精神まで公認された、ということなのか。

そして、太閤記を読んだ大衆が、北野大茶湯の高札/触書の文章を通して茶の湯はかく有るもの、という共通認識としたと。

北野大茶湯の高札と太閤記に茶道精神の確立を見る…少なくとも果たした役割を見る…というのはまったく私の視点にはなかった。

これもまた目から鱗だなぁ…。