義政と秀吉
「足利義政が、東山銀閣寺で茶の湯をはじめた。その宗匠として珠光を招いた」
という話は、どこまで遡れるのだろうか?
私の知る限りは、山上宗二記が最古なのだが。
もし、それ以前にはこの話がなかったとしたらどうだろうか?
つまり、利休たちが作ってひろめた話だとしたら。
「豊臣秀吉が聚楽第で茶の湯をしている。その宗匠として利休を招いた」ということを通じ、秀吉の(でっちあげられた)貴種性を、由緒正しい源氏の足利氏の貴種性に重ね合わせて強調するための、利休による、秀吉の為のプロパガンダだったりしないだろうか?
まぁこの話の難点は、山上宗二が秀吉の勘気を蒙ったような人物であること。北条の下に逃げ込んだような状態で、なにも秀吉のプロパガンダを続ける必要がない、という点にあるのだが。