松屋会記に見る香炉の茶
永島福太郎には「写本しかないからダメ」といわれた松屋会記。
でも、松屋会記以外に、室町から江戸という長期間にわたる茶会記は存在しないんだよな。
期間が長い故に、松屋会記からは茶の湯の流行を読み取ることができるのだ。
ということで久政と久好の他会記をカウントしてみた。
年代は元号をベースにしたが、但し天正は本能寺前後で分けた。
まずは香炉を使った茶の湯がどのくらい行われていたか。
久政他会記:
和暦 | 西暦 | 香炉 | 全会数 | パーセンテージ |
---|---|---|---|---|
天文 | 1533-1555 | 4 | 28 | 14% |
弘治 | 1555-1558 | 3 | 33 | 9% |
永禄 | 1558-1570 | 5 | 110 | 4.54% |
元亀 | 1570-1573 | 1 | 20 | 5% |
天正1 | 1573-1582 | 1 | 102 | .98% |
天正2 | 1582-1593 | 2 | 91 | 2.19% |
文禄 | 1593-1596 | 1 | 15 | 6.66% |
久好他会記:
和暦 | 西暦 | 香炉 | 全会数 | パーセンテージ |
---|---|---|---|---|
天正2 | 1582-1593 | 3 | 55 | 5.45% |
文禄 | 1593-1596 | 1 | 20 | 5% |
慶長 | 1596-1615 | 0 | 78 | 0% |
元和 | 1615-1624 | 0 | 30 | 0% |
寛永 | 1624-1645 | 0 | 3 | 0% |
香炉がどんどん廃れていく様がよくわかる。
天正2の時代も、利休が香炉愛好家でなければもっとパーセンテージ下がったと思う。
んで慶長以後は使う人もいない道具、となっている。
まぁ松屋さんの知己の範囲内ってバイアスはあるけど、傾向は読めるよね。