もし天王寺屋会記の記述が、天正13年以降も続いていたらどうだっただろうか?
天正11年から13年の会記の客振りを見る。
年 |
会数 |
秀吉 |
武将 |
町人 |
天正11年 |
55会 |
18% |
13% |
69% |
天正12年 |
17会 |
41% |
6% |
53% |
天正13年 |
14会 |
50% |
21% |
29% |
宗及の交遊は
- 数自体右肩下がり
- 行く茶会も秀吉か関係者ばかり
宗及の茶は、急速に趣味から政治にシフトしていったのだと思う。
#実は天正11年後半は、67%が秀吉の会だったりもする。
天王寺屋会記に天正14年〜17年があったとしても、全然参考にならない茶会記だったかもしんない。