天王寺屋会記における床の趣向
天王寺屋会記のサンプリング調査。
宗達会記の初期天文18年(1549年)と、宗及会記の初期永禄9年(1566年)、宗及会記の(ぎりぎり趣味的な)最後の方、天正10年(1582年)の茶会記をカウントした。
カウント対象は「床に何が飾ってあるか」。
年 | 花 | 茶壷 | 絵 | 墨蹟 | 和歌 | 他 |
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宗達:天文18年 | 3 | 3 | 5 | 5 | 1 | |
宗及:永禄9年 | 4 | 1 | 5 | 4 | 1 | 1 |
宗及:天正10年 | 4 | 2 | 4 | 13 | 1 | 6 |
まず、天文年間と永禄年間で、数値がさほど変わらないのが判る。
何が飾ってあるかは花、絵、墨蹟でほぼ均等。
ところが、天正年間は墨蹟や、他の道具を置く事が流行し出す。
天文・永禄年間は中国僧か、日本でも昔の高僧の墨蹟を掛けていたのが、天正年間には同時代大徳寺僧の墨蹟を掛けることがはじまっている。
天正年間に墨蹟を使う茶会が増えたのは、同時代僧侶の墨蹟を掛ける、ということをはじめたからだと思われる。
当り前の話だが、和漢の昔の僧侶の墨蹟、というのは、減ることはあっても増えることはないからだ。
ここだけ見ると「掛物ほど第一の道具はなし」という南坊録の表記も嘘にはならない気がするなぁ。