利休の茶花3

神谷宗湛日記から。

亥正月十二日朝
一 利休 大坂ニテ御会 宗湛、宗伝両人
(略)
床ノ向ノ柱ニ、高麗筒ニ白梅入テ手水ノ間ニ取テ
、床、ハシタテノ大壺置テ
(略)
さて、問題の挿花は、初座にかぎられている。
後座には取りこんで、「橋立」の茶壺かざりに変えられた。

宗湛はレポートが詳細で助かる。

この花器は五回記録がみえる。その中で、三回は梅である。
(略)
梅は利休好みの花材であろうか。
しかも、この花器に梅の挿花の多いことからも、利休の気分の表現に、ふさわしいものだったのかも知れない。
その花材について、宗湛は「白梅」と明記している。他の梅は、ただ梅とか、梅の花などと記され、その色までは伝えない。

「利休時代ハ、花モ紅ハ嫌、大形、白キヲ用也」(茶道秘書)

花の色は、たいがい白色がもちいられた。このように伝えている。

有楽も「花を見ねば花器は決まらん」と言っているので、梅にはコレと決めていたのではないだろうか?

茶道では何故に赤色を嫌うのだろうか。

赤色は『雑色』と考えられからである。
一即多、多即一の『多』に相当する。
赤い色は『富貴さ』が感ぜられる。また『富貴の相』とも考えられた。
それはあまりにも現世的である。
しかも結構すぎるのであった。
そこでは、現世の謳歌にすぎて、思想的な発展が感ぜられない。

面白い(かっこいい)意見なんだけど、考えすぎではないか?
なぜなら花以外の所に赤や富貴な文様は多用されるからである。

単に暗い茶室に赤い花持ち込んでもドス黒く見えるだけだから、だと思うんだが…。