利休の茶花6

茶の湯は、台子を根本とすることであるが、
精神のいたる窮極のところは、草庵・小座敷の茶に比較されるものではないという。
また、書院台子は法式の基礎的なものであるが、茶の湯の精神からは、どこまでも出発点にすぎない。
利休は、それを段階として、価値的に「今少し高き所」に到達しようと、努力したのである。
それが草庵二畳の茶の湯だった。
(略)I
それでは、『心のいたるところ』の小座敷の挿花は、どのようなものであろうか。
それは、『必ず、一色を、一枝か二枝軽くいけたるがよし』であった。

これは南方録のお話である。
小間ではわさわさ花を生けない、というルールである。

「二種生け」は、決して、利休の好むものでない。
(略)
しかし、四畳半などともなれば、茶の湯での窮極地、窮極境からは離れている席である。
したがって「花により、二色も、ゆるすへし」と認めている。
それが、これから取りあげようとする七作例の、二種生けなのである。

これも南方録に書かれていることである。
四畳半なら、二種類生けてもいいか、というお話。


このあと著者が茶会記に当たって実例をリストアップしているが、それは省く。

これをみてもわかるように、冬から、春にかけての季節が多い。
したがって、白玉つばきと、梅とが中心になっていて、それぞれ、三回みられる。

白玉つばきと何か、梅と何か、あるいは白玉つばき梅。

この組合せにどういう意味合いがあるのかは判然としない。


ただ、南方録をベースとして、南方録に閉じて議論すると、それなりの論理性や整合性が出てくるのが不思議である。

幕末から大正までの長い期間、茶の湯の原典のように扱われるだけのポテンシャルはあるってことだよな。