禪人利休の生涯9

最後に利休切腹

利休切腹の真因は今だ以って不可解である。
(略)
一、表理由…金毛閣寿像と道具高値売買
二、大徳寺法難…大徳寺取潰し阻止のため
三、商い手詰り…博多商人台頭による堺の凋落
四、政争敗退…秀長早死のため石田勢力急騰
五、茶道抗争…秀吉茶と利休茶の葛藤
先ず(一)の表理由は、石田三成が(略)
(二)の大徳寺法難を救うためであれば、利休でなく当時の大徳寺を代表する大和尚古渓宗陳が切腹する筈である。
(略)
(三)の商い手詰りとは(略)これとても利休が切腹してもどうなるものでもないし(略)
(四)の政争に敗れたことを利休切腹の理由に挙げる人がいるが、これも当を得ていない。何故ならば利休の真骨頂は政治家ではない。
(五)の秀吉との茶道の対立は確かにあったと思うが、これとても切腹して秀吉の迷いを払拭しようとしても、最早不可能の距離がある事は誰よりも利休が知っている。

さまざまな理由を立て、さらにそれを否定して見せている。
よく考えるとそれぞれの理由にそれなりの妥当性がある。
だが著者がそれを否定しなければならないのは、
利休が茶聖で、禅の人であると決めつけているからではないだろうか?

そういう聖人君子が道具高値売買したり、政争に敗れたりを理由に死んじゃいけないからである。

著者の思い込みが思考の選択肢を狭めている気がしてならない。


んではなぜ利休は死なねばならなかったのか?

私の結論は「利休大居士は道を確立し、これを永遠のものとするため、我が身を捨てた」。
しからば利休の道とは如何なる道であるか?
「大燈禅を土台とし、茶によって心の塵を払い無垢の本性を見出す自己開発の道である。」
ただこの道は難い。ただし茶によって開かれた道は万邦に通ずる。

いや、こんな観念的なことに人は命を掛けられるだろうか?しかも自ら死んで見せたんじゃなく、死んだのは命令である。

これじゃ「利休に道を確立させる為に、秀吉は利休に死を命じた」でないといけないじゃないか…。

大徳寺潰しの一環として、大徳寺の大旦那の存在を持ち上げてもしょーがないじゃん…。